はじめまして
エンゾと名乗ることにする。
約25年前、7歳の時にブラジルから日本に一家で移住してきた。
この珍しい経歴以外は自分ではいたって普通の人間であると自負しているが、せっかく人と多少異なる人生を歩んできたからにはその経緯を書き起こして、誰かに読んでもらいたい気持ちになった。
この、少しだけ数奇な経験が、誰かの参考にはならずとも、ほんの暇つぶしにでもなれば本望だ。
私の起源
家族で地球の裏側の国に移住してきた背景は、決して明るい理由ではなかった。
私が生まれたのは1980年代後半で、当時、ブラジルはとんでもない不景気に見舞われていたらしい。”らしい”と書いたのは、私が当時幼く、ありがたいことに私が貧困を感じさせないように家族が接してくれたからにほかならない。
おかげさまで、7歳の日本移住を迎えるまではいわゆる一般的な「日系ブラジル人」の生活をしていた。父母と姉二人と一緒に、ペットを飼って楽しく暮らしていた。私は小学校に通い、家に帰ると近所の友達とサッカーをしたり、凧揚げをして遊んだ。
そんな中である日、「日本に移住する」と告げられた。7歳の自分には事の大きさが想像できていなかったが、自分で考えることもできない間に大きな転機を迎えたのである。
一家で地球の裏側へ
これもゆくゆくわかったことだが、私の家は裕福な家庭ではなかった。ブラジル全体がそうだったかもしれないが、少なくとも私の家庭は苦労していた。当時の父母にとって、言葉も通じない地球の裏側に一家で移り住むことのほうが、生まれ育ったブラジルで生きていくよりも、希望が見いだせるくらいには苦労していたはずだ。
実際に両親が移住を考えたいきさつや、当時どんなことを考えていたかを聞いたことはない。それが気にならないわけではないが、子供ながらに気を使っていたのかもしれないし、あるいは、育っていくにつれて、家の状況が改善するたびに、過去の苦労話を徐々にされるようになり、少しづつ理解していったせいもあるかもしれない。
姉は大学生、姉は中学生、私は小学校に通っているタイミングでの移住である。
母方がいわゆる”日系ブラジル人”で、10人兄弟大家族であることも功を奏し、半数くらいが日本に住んでいた。そこが頼る先になるとはいえ、大変な決断だったろうと思う。
その旅路は家族全員にとって簡単なことではなかった。
日本に根付く
移住から約25年。決断したときの父母が現状を望んでいたかは分からないが、私たちはそれぞれの形で日本に根付いた。今時点で誰もブラジルに戻っていない。
言葉も分からず、文化も知らない、知人もそこまでいない日本に、すべてを築き上げた。偉業だ。
家族の偉業をたたえつつ、その過程をこのブログで綴ろうと思う。
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